広がる紅 無垢なる紅 大切だった筈の紅 手のひらに広がる残酷な温もり ちがう これは私ではない 私ではない じゃあ誰が?広がる疑問 誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ 不意にうたれる終止符(ピリオド) 誰でもない。お前だよ。 「違う!!」 鮮血のようにあざやかな紅を目に宿し、白銀の髪を持つ吸血鬼は、目覚めとともに鋭く叫んだ。 普段と変わらぬ部屋。日常に包まれた部屋。ひとつ違うものは、恐怖に怯えきった自分の姿が鏡の中からこちらを見つめていることだけ。 体全体にじっとりといやな汗をかいている。起きあがった際に起きた冷たい風が、細く、湿ったからだを冷やす。 夢だ。 現実の物より生々しい、夢だ。 不規則に脈打つ胸を押さえ、震えている拳を睨みつけ、彼は瞳を閉じた。 息を整え、嫌な鼓動が落ち着くと、彼は薄く瞼をあげる。 床に横たわっていた、2人の姿。その姿は紅く。 麗しき血に飢えた種族。 呪われし穢れた一族。 吸血鬼。 時々解らなくなる。 私とは"何だ"? 「ユーリ、そろそろ起きたッスか?」 不意に響きわたる声。 あぁ聞き慣れた声だ。 温もりだ。夢の中で感じた、残酷なものとは違う。 これは―これは―・・・ 「なんだ起きてるじゃないッスか。そろそろ朝食出来るッスよ。」 もしも・・・もしも、この「友」という名の温もりを奪う物が自分だとしたら。友よりも血を願ったなら。 彼らを赤に染める、その事を私の手が何よりも願ってしまったら、その時は そのときは 「ユー…」 「来るな!!」 突然の鋭い声に、彼は驚き即座に―わずかに遅く―動きを止めた。 緑の髪の間から、少し戸惑い、焦りのこもった瞳がこちらを見つめているのを感じる。 荒くなった吐息を鎮められないまま、その視線からさらに目を逸らす。 今の顔は、とても人に見せられない。 白銀のうちに隠された、白く美しいはずの顔は頭の中でつぶやく。 孤独を愛する一族。 愛すら忘れた一族。 そうだ。そうだろう? 私には何もないはずだ。 "餌"以外には。何も。 「ユーリ・・・どうし・・・」 彼はそう呟きかけると、伸ばしていた腕をふっ、と下ろした。 しばらくの沈黙。 何もないような沈黙。 荒い吐息の音ですら、沈黙の一部のようであった。 時計が時を刻む音がその沈黙を徐々に溶かし、それが180回目の音となったとき、立ちすくんでいた彼の強ばっていた頬の筋肉が緩んだ。 「・・・朝ご飯、食べたくなったら降りてくるんスよ。今日はトマトスープに、ベーコンとほうれん草のバターソテーッスから。」 そう、柔らかく微笑む。 次の瞬間には儚く鏡のように砕けてしまいそうな。そんな笑顔。 彼がドアのノブに手をかけた、その時 「待て」 小さく、しかし鮮明な声が彼を止める。 「アッシュ・・・」 「んっ何スか?」 彼は明るく答えた。吸血鬼の苦手とする、太陽のような輝きを込めて。 陽光のように、優しく。そして吸血鬼の心には鋭く、切り込んだ。 「少し聞きたいことがある。」 ようやっと鎮まった動機を確認すると、彼はかすれるような声で言った。 ―私は何をしようとしているんだ― 己の馬鹿げた行為を嘲るかのごとく、心の中で嘲笑し、 半ばあきらめと絶望の狭間で返事を待つ。 「構わないッスよ。」 答えなど 聞きたくない 自分の思いとは裏腹に、ぎこちなく動き始める唇。 「私とは"何だ"?」 「は?」 アッシュは、その顔に困惑の色を浮かべた。 やはり、そうだ。 私がその質問をすることによって、顔に困惑という名の混乱を宿すのは目に見えていたことだ。そうしてまた自分を嘲り笑った。 なんて馬鹿馬鹿しい!! 馬鹿馬鹿しいにも程があるぞ!吸血鬼・ユーリ! 心の中で自分を軽蔑した。穢らわしい身である自分を。 私が"何"かだって? 吸血鬼だ。 穢らわしい一族だ。 最初からわかっていた事じゃないか。 聞くまでもない。 「すまない、アッシュ。馬鹿馬鹿しいことを聞いた。」 彼の口を煩わす程でもない。 「今のは忘れていい―」 「ホント、バカバカしいッスね。」 ―? 緑髪の人狼はあきれたとばかりに大きく深いため息をついた。 「ユーリッスよ。」 真っ赤で真っ直ぐな瞳が、緑の髪の向こうからこちらを見ている。 「Deuilのリーダー、ユーリ。ボーカルのユーリ。そして何より」 風が、 「俺やスマイルの親友、ユーリ。」 風が、冷たい心を吹き抜けた。 凍りついた真っ暗な闇の夜を、この暖かい風が一気に溶かしたような気がした。 馬鹿馬鹿しい? そう、何もかも馬鹿馬鹿しい愚問だったのだ。 彼らは、ただ刻まれた悲しい姿など見ていない。 ただ、目の前にある"ユーリ"という素直な現実だけを見ている。 ああ、愚かだ。 なんて愚かなんだろう。 自分には、こんな"仲間"がいる。 "仲間"という真実の中には、もう"アッシュ"、"スマイル"という現実しか有り得ない。 "アッシュ"、"スマイル"という現実の中には何もない。 よく考えるのだ。自分たちには、この事実以外必要か? "今、此処に共に在るということ" 他には何もいらない。 "恐怖"?"不安"?そんなもの、在るものか、要るものか。 "ユーリ" "アッシュ" "スマイル" この事実以外には何も必要ない。 何故なら、この三つの類語、"仲間"には なんの言葉も必要ないのだから。 「え?!あ、ちょ、ユーリ?!」 そんな当たり前のことに今更気づいたと思うと、自然に熱い涙が頬を伝った。 目頭、胸、頬が火照る。 心配そうに近づいてきたアッシュの胸に、ユーリは不覚にも頬を埋めた。 「ユーリ・・・?」 最初は戸惑っていたアッシュも、見慣れない弱々しい姿のユーリから自然に悟り、受け入れた。 「へへっユーリが泣くなんて、よっぽどの事があったんスね。」 「べ、別に泣いてなどいない。」 「へへ、そうッスね。」 強がるユーリは、瞼を赤くして、かけがえのない存在にすがりついていた。 彼は―草原の風だ。 爽やかに吹き抜け、夜の氷を柔らかに溶かす。 やがて、草木をそよがせ、ふんわりと春を告げるのだ。 それはいつでも変わることなく、永遠に其処にある。 「アッシュ―」 「何スか?」 涙混じりの、吐息。 「ありがとう。」 ありがとうありがとう。 本当にありがとう。 何故だろうか、たったそれだけの、数個の文字の羅列に過ぎないのに こんなにも全てが伝わる、この言葉の力。 心を打ち振るわせる、この言葉。 何も知らないはずなのに、何故? すべてが伝わる気がする。 アッシュの唇は、なぜか震えているようだった。 「ユーリ・・・・・アッス君・・・・・?」 2人がそちらを向くと、扉から青髪の少年・スマイルがこちらを不思議そうに見つめていた。 「なんで、2人とも泣いてるの?」 2人は少し離れると、目を擦ったり、目を逸らしたりした。 「別に―泣いてないッスよ。」 目を擦りながら、震える声で強がるアッシュと、何もいわずにそっぽを向いているユーリ。 きょとんとしていたスマイルは、突如にんまりと笑うと白い歯を見せながら2人に駆け寄り、勢いよく抱きついた。 「のわっ」 「わっ」 突然の行動に驚く二人にスマイルはお構いもせず、彼はその名に恥じない笑みを浮かべてこう言った。 「何があったか知んないケドさっ」 スマイルはユーリの頬を横に縦にといじり始めた。 「とりあえず、朝ご飯冷めちゃうからネっ。折角アッス君作ってくれたしサ。早く食べよ!!ボクお腹ペコペコだってばさ〜!」 ユーリの顔はスマイルによって笑いを誘う顔に変形していた。 アッシュが思わず吹き出すと、ユーリは慌ててスマイルの両腕を顔から引きはがそうとした。だがしかし、力は互角であるため勝負はつきそうも無かった。 「ひゃめろ、ふまいう!!」 「あ、笑った。」 ユーリはきょとんとして目の前のスマイルの顔を見つめた。柔らかく微笑むその瞳は、何も知らないはずなのに、すべてを見透かしているように思えた。 彼は―海だ。 いつもどんなときも其処にいて、いつだって変わらず接してくれる。 激しく見える白波の向こう側には、蒼く穏やかな大海原が広がっている。 それは、全ての始まりから終焉まできっと変わることはないのだろう。 自然に口をついて出てきた言葉はまたしても「ありがとう。」だった。 「んー、なんかよくわからないケド」 また、さざ波が 「どーいたしましてっ!」 心を洗い流した。 背伸びしてはいけない。 振り返ってはいけない。 今此処に共に或るということ。 それだけを抱きしめて 精一杯に生きていけばいい。 永劫に変わらないものが、この世界に無いのだとしても 今こそは永遠になるから。 永遠は今だから。 私達は共にあり続けるだろう。 今という時は永遠に変わらない。そう思えるから。 在り続けよう。