くらい くらい まっくらやみ なんにもなんにもないはずなのに しめつけられる おしつぶされる いとしいひとの のばした そのては 狂気に あふれて わたしを わたしを ひきずりこんだ 「ちっ・・・近づかないで!」 シャルロットはとっさに起き上がり、頬に触れていた手のひらを払いのけた。 鞭が弾けたような音が響き渡り、手のひらの主は突然の出来事に戸惑いを隠せず、困惑しているようである。 赤く腫れた白い手のひらをさすりつつ、ユーリは静かに、しかし焦りを隠せないまま蒼白な表情のシャルロットをなだめるように問いかけた。 「どうしたのだ、シャルロット。 ようやっと姫のお目覚めかと思えば、これは一体―」 シャルロットは息を切らしながらしばらく震えていたが、数回大きく呼吸すると落ち着いたのか、小さく口を開いた。 「こわいユメ、ミたの・・・」 少し荒い吐息が響く。 「怖い夢―」 ユーリは繰り返す。 首を振り汗ばんだ額にかかった前髪をかきわけた彼女ははぁと深いため息をつくと、あることに気がついた。 「ユーリ」 彼女は困惑とほんのわずかな喜びを込めて顔を上げた。 「ワタシ、イキしてる・・・」 それを聞いたユーリは、そうだな。と優しくつぶやき、何かを含んだ笑みで囁いた。 「自分の顔に、触れてごらん」 ユーリの発した言葉は、それだった。 「え?」 困惑した表情で彼女は聞き返す。 顔に、触れる? 「いいから」 とユーリは急かした。 「触れてみるんだ。驚くから」 シャルロットはわけもわからずにためらったが、横で微笑むユーリと紫の髪の少女がうなずくのを見ると ゆっくりと頬に手を伸ばした。 最初に感じた感触は「やわらかい」だった。 「それに、あたたかい。」 彼女はつぶやく。 これは、まるで、まるで 「ニンゲン、だ。」 ユーリはそう言うと、おもむろに懐から少し大きめの黒い鏡を取り出し、シャルロットに向けた。 「ごらん。」 息を、飲んだ。 鏡に映っているのは、陶器のように白く固い皮膚でも、作り物の髪でも、ガラス玉の瞳でもなかった。 鏡の向こう側から見つめているのは、シャルロットだったが、シャルロットではない。 絹のような素肌をした、細く滑らかな髪を持つ、透き通るような碧い瞳の少女。 ユーリは、囁く。 「『生者は死者に、死者は生者に』」 シャルロットは戸惑いながらユーリの顔を見つめる。 彼はただ微笑んでいる。窓枠がかたりと音を立てた。 「『シシャは、セイジャに』?」 「常闇は、本来死者が転生のために来る場所です。」 紫色の髪の少女が口を開いた。シャルロットは彼女の不自然にうねる髪の毛に目を留めると、混乱している様子で問いかけた。 「・・・・え、えっと・・・?」 「あ、私はロザリーと言います。」 ロザリーは小さく微笑んだ。 「『生者は死者に、死者は生者に』。常闇の世の成り立ちの一部を形成する言葉です。」 ユーリは身を乗り出し、混乱する碧い瞳を見つめた。 「『生者の来る場所ではない』とぺぺに言ったのは、今彼が此方に来てしまえば、死ぬことになるからだ。」 「・・・あ・・・」 表の世界を旅立つときに見たユーリににつかわないあの厳しい表情はそのためだったのか、と納得した。 でも、そこで一つ疑問が生まれる。 自分は、人間―『生者』になっている。人形は、果たして『死者』とみなされるものなのだろうか? わからない。なぜ私は人間の姿になっているんだろう? 彼女の表情はまた困惑によってみるみる曇っていく。 心の霧をはらそうと、ユーリに困惑の糧を身を乗り出してぶつけようとした。 「ユ――」 ドンドン その声は部屋の向こうの扉が強く叩かれる音でかき消された。 「?!」 ユーリとロザリーが勢いよくそちらに振り向いたことで、シャルロットはそのノックの主が決して歓迎される者ではないことを直感で感じとった。 しばらく様子を伺うための沈黙が走る。扉に全神経を集中させている2人を見つめたシャルロットは小さく肩を震わせた。 ドンドンドン 先ほどよりも若干大きく、乱暴に扉を叩く音が蝋燭を揺らす。 「私、見てきます。」 「あぁ、頼む。」 緊張な面持ちでロザリーは向こう側の扉に向かった。ユーリは髪をかき上げると、小さく舌打ちし「もう掴んできたか。」と小さくつぶやいた。 「ユーリ、一体な―」 と問いかけた瞬間、シャルロットは凄まじい形相のユーリに即座に口をふさがれた。 血のように紅い瞳が、おどろおどろしい炎のようにチラついて、まるでユーリでは無いようなあの顔である。 「君は、声を聞かれてはいけない。」 まただ―またこの顔だ― シャルロットは、怯えながらも別人のような彼の瞳を見つめ弱々しく頷いた。 「どちらさまですか?」 ロザリーは分厚い丸太木扉の向こう側に、慎重に声をかけた。 返事はなく、まるで外には誰もいないかのようで、それが一層ロザリーの表情を強ばらせた。 扉の合間から重く冷たい空気と、わずかに感じられる空気の震えが入り混じって部屋に入り込んだ。 その不気味な気配に気をそがれてもう一度質問することに躊躇いを覚えたが、唇を噛み締め、もう一度同じ質問を唱えた。 「どちらさまですか。」 「オイラの質問にだけ答えろ。」 返事だ。 ロザリーは思わずに後ずさったが、かかとを踏みしめもう一度扉の向こうに向き直った。 「反逆者を差しだすんだ。」 扉の向こうの声はひどく癇に障る、意地悪な声で聞いた。ロザリーはまたいっそう強く唇を噛みしめた。 そして小さく深呼吸すると、平静を装い、「なんのことですか?全く心当たりがありません―」と返した。 「うそつきー」 「うそつきー」 先ほどとは少し低い位置から二つの声が聞こえた。そして、 「オイラ、うそつきはキライだよ。」 という殺気に満ちた声が響いた。 ロザリーの向かった方から、扉が打ち破られる音と、様々な物が飛散する音が鳴り響いた。 声を潜めていた2人は、跳ね上がるように立ち上がった。 思わず、駆け出しかけたシャルロットをユーリは制止した。 「私が行く。君は危険だ。」 シャルロットは声を殺した状態で叫んだ。 「どうして?!それならユーリだって―」 ユーリは人差し指を彼女の唇にそっと当てると、先程とはまるで別人のようにふわりと微笑み、こう言った。 「大丈夫だ。」 窓枠が黒い風にがたりと音を立てて揺れた。 「うぅ・・・・・」 ロザリーの額には汗が浮かび、顔面は蒼白、苦痛にゆがんでいた。 「「うそつきー」」 小さな二人組に取り押さえられるひ弱な少女を見下し、黒の装束に身を包んだ小人の少年は、 その外見と対照的な猟奇的で巨大な鎌を振りかざし、ちらちらと光らせていた。 「オイラ達の仕事、ふやされるの困るんだよね。さっさと吐いてくんないかな。」 彼女の瞳は一瞬弱みを見せたが、再び苦痛の間から恐ろしい小人を睨みつけた。 その瞳に苛立ちを覚えた小人は、軽く口をへの字に曲げると鎌を再びちらつかせた。 「やっちゃえー」 「やっちゃえー」 黒白の小さな者達はそう言った。 「そーだね。目的はコイツじゃないけど、やっちゃっていいよね?」 銀の大鎌はちらりとまぶしく光ったかと思うと、風を切り、唸らせ、勢いよくまっすぐに振り下ろされた。 ロザリーは、命の終わりを覚悟した。 金属と何かがこすれる音がする。 ロザリーの首は繋がっている。彼女がゆっくりと顔を上げると、そこには大鎌の刃を間一髪で受け止めている吸血鬼の姿があった。 「ユーリさん!!」 ロザリーは叫んだ。 「やぁ、竜胆乃君。怪我は無いかい?」 怪我はない、だがそれより先に― 「どうして隠れていなかったんですか?!」 自然と叱咤の言葉が漏れていた。今、このタイミングに助けにはいるのは愚かだ。しかし彼はこのように言ってのける。 「美女が困っているのは、放っておけなくてね。」 君も、気高い百合の花も、可憐な薔薇の花もね、と大鎌を受け止めながら皮肉な笑顔でつぶやく。 しかし、その顔にはじんわりと嫌な汗が浮かんでいるのが鎌に反射する光に照らされていてわかる。 「来たな。吸血鬼、ユーリ。 いや、今は反逆者、ユーリとでも呼んでおこうか。」 小人は歯を食いしばり、そしてどこか楽しそうに鎌を握る手に力を加えた。 音もなく押し合う吸血鬼と小人。軋むその間の決着は。 音もなく。 「くっ・・・」 折れた翼に突き刺すような激痛が走る。力が緩む。刃が滑り落ちる。 舞い散る薔薇の花弁。 真紅の輝き。 「ユーリさん!」 身を乗り出し、ロザリーは顔面蒼白で叫んだ。 「ふぅん。」 小人は、鎌についた温い朱に触れた。 「きゅーけつきにも血はあるんだ。」 ユーリは、立っていた。ただし、血まみれで、片腕を大きく抉られて、息を荒く、ふるえた状態で。 「フラフラじゃんか。どんだけ無理してたわけ?笑っちゃうよ。」 小人は、そう言うと急にニタニタ笑いをやめ、外の気配を伺った。 「薔薇の花」 「?」 「?!」 小人は向き直り、もう一度いや、より一層ニタニタ笑いを広げた。 「『邪鬼』が捉えたようだよ。」 「『邪鬼・・・だと?」 ユーリは流れ落ちる滴と感覚の無くなりはじめた左腕を力なく握りしめ荒い息で繰り返す。 「なんのことだっ・・・・・」 ニタニタ笑いの向こう側で、小人はつぶやいた。 「そんな身体じゃなんもできないよ。」 藍色の風が起きる。 「今日はこんだけ。また今度会ったときは綺麗に切り刻んであげるよ。 反逆者の処理は『三番目』だからさ。」 藍色の風が小人と小さな2人を覆い隠していく。扉の周りに飛散した木屑や陶器が舞い上がる。 「待てっ!」 ユーリが懸命に右手を伸ばした先には、もう何も無かった。 地面にへたり込んでいるロザリーは恐怖と混乱の狭間で放心状態のようであった。 そして、目の前で今にも崩れてしまいそうなユーリをしばし見つめたあと、放心状態で呟いた。 「薔薇の花が―邪鬼に―?」 ユーリはしばらく己の血だまりを見つめ、ロザリーの繰り返した言葉をもう一度つぶやいた。 ―邪鬼が薔薇の花を捉えた ――薔薇の花が捉えられた・・・―? ―まさか ユーリは、急に糸で吊られたかのように部屋の奥に向かって走り出した。負傷した左腕はただぶら下がっているだけだった。 ユーリの行動にロザリーは驚き、放心状態が解かれユーリに続いた。 「駄目です、ユーリさん! その傷で走っては―?」 カーテンがそよいでいる。 大きく開かれている窓の向こうには果てしなく黒い森が。 そして先程までそこに居たはずの―――― 「・・・・やられた」 「そんな―シャルロットちゃん―!」 残されていたのは、荒らされた部屋と、ズタズタに引き裂かれたシャルロットの花飾りの花びらだけであった。 部屋をざわついた空気が空白をざらざらと埋めていった。