暗闇が広がる。
まるで深海のような冷たさで、宇宙のような無が広がっている。

何も感じないその場所で
しきりに手を伸ばし、何かを掴もうとする。

掴むものなど何もないと知りながら、それでもその手は宙を掻く。




【或る人形師の輪舞曲]T】




「ジズに会っちゃいけないって…」
「矛盾していますね。」

あまりにも急なシャルロットの言葉に一同は動揺を隠せないようだった。

無理もない。
先ほどまで彼女は、彼に会えない悲しみで己の心を締め付け
大粒の涙を流して苦しんでいたのだから。


午後にさしかかろうとする日は
わずかに教会の鐘にかかり、短い影を地面に落としている。


「何故、そう感じた?」

ユーリはテーブルに両腕を組み置き身を乗り出す。
カップの中の紅茶がぴちゃんと音を立てて不安定に揺れた。

「ジズが…闇の中を歩いていくの。
遠くへ、遠くへ。溶けて行くみたいに。」


「きっと、ジズは私に会いたくないの。
もうこんなボロ人形には興味が無くなっちゃったの。」

シャルロットは寂しい笑顔で弱々しく言ったが
いつになく重々しく真剣なユーリの眼差しは、シャルロットの小さく震える指先を捉えた。
その小さな手のひらがよりいっそう強く握られたのも。

ぺぺは困ったように一瞬素っ頓狂に甲高い声をあげ、
シャルロットの方へ乗り出した。

「そ、そんな・・・ジズはそんなにひどい人じゃないよ!!」

シャルロットは少しぺぺから目をそらした。
少し俯いているシャルロットはこちらからは図れない。

ぺぺは必死に訴え続ける。

「だって、ジズはあんなにシャルロットを大切にしてたんだよ?
自分のすきなお菓子の名前までつけて・・・
それなのに、そんなひどい理由でシャルロットを一人ぼっちなんかにしないよ!」

シャルロットは俯いたまま、でも…と呟きかけた。
すると、それを制止するかのようにユーリが厳しく言い放った。

「呆れたものだな。
君のジズへの思いはその程度の物なのか?」

予想外の人物から突然冷たく言い放たれた言動に
シャルロットは驚き、顔を上げた。

他の者も同じようで、ぺぺと聖書から顔を上げたアンネースは顔を見合わせた。

「残念だ―
心を持ち、会話し、人を想う人形がどのようなものか見てみれば
・・・結局、この程度か。」

「!」

テーブルがガタンと音を立てた。
「ひどいよ!ユーリ、そんな事言うなんて・・・」
「お待ちなさい」
熱くなるぺぺを、アンネースは静かに声と手のひらで鎮めた。

「でも、アンネース・・・」
「誰が『本心を言った』と仰ったのでしょうか?」

ぺぺは「へ?」という頼りない声を出して困惑した。

「シャルロット、・・・そしてユーリ。あなたもです。」

ユーリは不敵に微笑み、
シャルロットも、アンネースの言葉に動揺しているらしく、彼女の目は誤魔化すかのように床の一点に向いた。

「それに―『常闇』に向かうことは
あなたやジズの為だけではないようです。」

アンネースの視線の先には、黙りこくり虚ろな目をテーブルの下にただ向けているだけのカンタの姿だった。

「カンタ・・・・・?」

普段は無駄に口を出してくるカンタの、その異様な姿に違和感を覚えたペペは
椅子を降り、カンタに恐る恐る近づき、触れた。

シャルロットは、一瞬何が起こったのか理解できなかった。

ただ、そこにあるのは力なく椅子から転げ落ち、横たわっている
カンタの姿をした「脱け殻」であった。

ペペが軽く触れた瞬間、カンタの体がなんの抵抗もなく
ただ椅子の下に零れ落ちたのを、シャルロットは見た。

「え…」
ペペも同じ動揺を隠せず、しばらくその場に呆然と立ち尽くした。

そして次第にその表情は恐怖の表情に変わりゆき、
小さく絞り出したような声がペペから漏れた。

「カンタがしんじゃった・・・」

シャルロットは、それを数秒間硬直して見つめていたかと思うと
急に椅子を飛び降り、横たわったカンタに駆け寄った。

カンタの目はじっと天井を見据えている。
シャルロットはまた改めて恐怖を感じ、
助けと答えを求めるようにユーリを振り返った。

ユーリはゆっくりと立ち上がると
「10時間・・・思ったより早かったか。」
と低い声で囁くように言い
カンタに歩み寄るとシャルロットの隣に膝をつき、カンタを拾い上げた。

「ユーリさん・・・これは一体・・・?」
シャルロットは喉が潰れそうな震えた声で問いかけた。
ユーリはカンタを表情もなく見つめたまま重々しく答えた。

「・・・・・人形師が居なければ、人形は動かない」
「!」

ペペは今にも泣き出しそうなくしゃくしゃな顔で何かを訴えるような顔でユーリを見た。
ユーリは眉根を寄せて、瞳を閉じる。

「人形師と人形達。
二つの世界が断絶されてしまった今、人形達から『命』が消え始めている。
シャルロット、君も論外じゃない。

もう、体の何処かに違和感があるはずだ。」

その言葉を聞き、シャルロットは体のあらゆる場所を動かし
一つ気付いてしまった。

―指が、動かない

シャルロットは一瞬のうちに、胸に「死」と言う名の重く尖った氷の山が
どっと流れ込むような感覚を覚えた。

そしてその感覚は、虚空を見つめるカンタを改めて見る事により更に強まった。

「ワたし・・・・・死ンじャウの?」

気がつくと、思うように声が出せず、掠れてきている。

ますます焦燥感に駆られたシャルロットは、絶望的な顔で思うように動かない手で喉を押さえた。

ペペはその様子を見ると、シャルロットを涙で濡れかけた腕で勢い強く抱きしめた。

「やだよっ!シャルロットまで死んじゃったら、ぼくやだよっ!」
「ペ・・・ペ・・・・」
「せっかくお友達になれたのに・・・
もう死んじゃうなんて、やだよ!」


黄昏色に染まり始めた床の上で
小さな2人の影は小刻みに震えている。

窓の影は徐々に薄くなりながら壁に近づいていき、
部屋は段々と暗くなってゆく。
周囲の紺碧が小さな2人を包み隠そうとした時
ユーリは再び口を開いた。

「さあどうする?シャルロット。」

ペペの腕の中で、シャルロットは光が消えかけている瞳をゆっくりとユーリに向けた。
もうシャルロットの愛らしい顔からは表情というものは無くなっていた。

しかし左目から一筋の光が流れ落ちる。

「不安に押しつぶされて、このまま再会を果たさずに消えるか、
・・・・・危険を冒してでも、ジズに会うか。」

黄昏がかすかに残る窓枠の景色に、わずかに欠けた月がぼんやりと輝きだした。
差し込んできた淡く白い光はユーリの肌を映し出す。

月光に照らされた彼の口元がふっとゆるむと、
その口は甘く誘うように囁いた。


「―もう、答えは決まっているだろう?」


しなやかな髪がベールのように揺れ
薔薇の花のような少女は、きぃと音を立てて頷いた。


その瞳にはかすかに、だが確実に決意が宿っていると
その時ユーリは、確信した。




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話が進まない…

次回こそ!!

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